2016年4月1日 (金)
紅葉の木
我が家の近所の公園には小ぶりだけれど秋に綺麗な赤い色を楽しませてくれる紅葉の木がありました。
それが冬に公園の改修工事が入り、ある日突然まるで手足を切り落とすかのように枝どころか主軸となる太い幹までが切り落とされました。
紅葉が邪魔になるような場所でもないのに、なんて酷い切り方をするのだろう。
役所が手配した相手が素人の工事業者なのか造園業者なのかはわかりませんが、木が生き物であることを考えて切っているとは到底思えない。
以前、明治生まれの庭師の方の話を読んだとき「庭師というのは50年後、100年後まで庭の草木が成長していくことを考えながら庭造りをしていくものだ」とおっしゃっていた。紅葉の木を切った人に聞かせたい言葉だ。
春になりその紅葉は幹の脇に残ったたった数本の細い枝から新芽を出している。
本来ならば新芽で美しい姿を見せていただろうに、その姿が痛々しい。
毎朝その紅葉を見るたびに、あなたたち人間はなぜこんな酷いことをするのかと紅葉に問われている気がします。
(箕輪)