2005年10月6日 (木)
ジャイアンツ愛
エイトマンが帰ってきました。
あの憎き堀内に引導を渡し、原辰則第2次政権が遂に実現します。
思えば2年前の最終戦、当時の阪神監督星野から
「またやるんだろう?」
の言葉をかれられ涙した原。
それがこんなに早く現実のものとなるとは・・・!
野球少年だった私は、物心ついたときから自然と巨人ファンになっていました。
父親に連れられよく後楽園球場にナイターを観に行ったものです。
当時のバッテリーは江川、西本に山倉、野手には中畑、松本、篠塚、そして原、
助っ人外人にはクロマティ、レジー・スミス、抑えのサンチェなんてのもいましたね。
その中でも原はひときわ輝く存在でした。
「4番サード」
この言葉は私の中では長嶋ではなく原を意味します。
結局中学を卒業するまで私のポジションはピッチャー一筋でしたが、
サードというポジションにずっとあこがれをもっていました。
いまでも私の部屋には原のサインボールが飾ってあります。
どうかこの原ジャイアンツが長期政権となりますように!
そして、稲田さんには悪いですけど
「阪神だけには負けるなー!!」
(田中)